ポジハラってませんか?
朝のミーティングで出た話題。
それは、「無理やりポジティブな自分を演じることのしんどさ」について。
でもその話を深掘りしていくうちに、気づいたことがあるんです。
それって結局、“いい人であろうとし続ける呪縛”なんじゃないかと。
◆ ポジティブの裏にはネガティブがいる
誰かが強くポジティブであろうとするとき、
その裏側には、同じだけのネガティブが潜んでいます。
「明るく、元気に、前向きに!」
…ってやってるけど、実は「本当はしんどい」「うまくいかない」と思ってる自分がいる。
でも、ネガティブな自分を認めるのが怖いから、
さらに強くポジティブを演じ続ける。
その結果、バランスが崩れて、苦しくなる。
◆ その“始まり”はいつだったんだろう?
それって実は、幼いころに刷り込まれた価値観に由来していることが多い。
- 「ダラダラしないで!」
- 「ちゃんとしなさい」
- 「人に迷惑をかけるな」
- 「空気を読みなさい」
そう言われて育つうちに、
“自分らしさ”より“人からどう見られるか”が基準になっていった。
◆ 教育と道徳がごっちゃになってない?
ここで立ち止まって考えたいのが、
「教育」と「道徳」の境界線。
本来、
- 教育は「知識・スキル・考え方」を育てるもの。
- 道徳は「人としてどう在りたいか」の感性を育てるもの。
でも今は、社会にとって都合の良い“行動様式”を身につけさせる道徳モドキが、教育の中にズルッと入り込んでる。
◆ 社会の都合で作られた“いい子”という幻想
- 静かに座れる
- 空気が読める
- 自分の意見を抑えられる
- 先生の指示に素早く従える
こういう子が“優等生”として褒められる。
でもそれって、心の声を殺して、社会に最適化された自分じゃない?
だから、表面は落ち着いていても、
内面ではモヤモヤが渦巻いていたりする。
◆ 反発する自分も、また自分
大人になると、親や先生みたいに“指示してくる人”はいなくなる。
でも代わりに、自分の中に「指示する自分」と「反発する自分」が生まれる。
- 「ちゃんとやらなきゃ」と自分を追い立てる声
- 「もう疲れた」と投げ出したくなる声
その両方が自分。
だからどちらかを消そうとするんじゃなくて、バランスを取って付き合っていくことが大切。
◆ 波紋を止めるには、“中心”を見つめる
この“強要”の波は、やがて自分の周りの人にまで広がる。
- 子どもに「ちゃんとしなさい」と言ってしまう
- パートナーに「もっとこうすべき」と期待してしまう
- 他人の自由さにイラっとする
それ、全部自分が過去に言われてきたことなんだよね。
無意識に「社会に合わせろ」というメッセージをリピートしてる。
じゃあどうすればいい?
答えはシンプル。
波紋の“中心”=デフォルトの自分に戻ること。
◆ 「めんこいなぁ」と言える自分へ
- ダラける日があってもいい
- ネガティブな感情が湧いてもいい
- ずるくても、ワガママでもいい
全部、自分。
その全部を「ダメ」と裁くんじゃなく、
「そういう時もあるよね」と愛おしむことができたら、
社会の価値観に振り回されずに、じぶん軸で生きられるかもしれない。
おわりに。
「ちゃんとしなさい」の声は、
もう外からじゃなく、内側から聞こえてくる。
でもその声に縛られる必要は、ない。
あなたの中の“本当の声”に耳を澄ませて、
「今日の自分、めんこいなぁ」って、そう言ってあげられたら。
波紋は、きっと止まります。
このブログは、みんな天才化機構 のBUM(*1)を振り返ったアウトプットとなります。
(*1)平日 am6:30から行われる30分のお話会
(一社)みんな天才化機構の許可を得て掲載しています。